ポジティブでありたい でもそんな単純な話じゃないのさ 

こんな風にありたいけど
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ポジティブさについて 今のうちに書いておこう

長年一つのことをやっていると、ずっと抱く疑問みたいなものが出てきます。僕にとって「ポジティブさ」という言葉がそれにあたります。

1人で活動を続けていくためには、基本的にポジティブな精神でいることが本当に重要です。しばしば遠くに出かけるのは撮影のためだけではなく、精神を新鮮にしておくためでもあります。

基本的に気持ちがポジティブであってマイナスなことは殆どありませんが、一つだけ強く強調したいこと〜

精神がポジティブでないからといって引目を感じることはなく、悪いばかりでもない、

ということなんです。

ポジティブ信仰が篤い世の中で、このことを上手く表現する機会が中々なかったりします。仕事の現場には馴染まないトピックですし。ずっと思っていることなのですけど。

さてさて、いやはや

ポジティブな気持ちは誰しも欲しいです。しかし諸刃の剣で、ポジティブさが昂じると創造性に繋がりにくくなる面があるのです。

“ポジティブ状態”は、ある種気持ちの一方通行のような状況で、「良くなる」という未来志向がベースにあって、僕らモノづくりの基本的な日常の心持ちとは少し違う面があるんです(作り手を代表したような言い方でスミマセん)

少なくとも僕は心が停滞することを厭わないし、最も創造的になるのは、結構な確率で孤立している時期、気分が停滞気味のとき、季節でいえば冬などに多い感じがあります。

こういう時期は、非道徳的な心持ちになりやすく、少し偏ったものの見方や、誰か/何かへの対抗心が育ったり、逆にスカッとした逆転の発想が生まれたりすることが多いんです。その全てが生産的なものとは言い難いけれども、そもそも作り手は完全体ではない魑魅魍魎なのです。

完全でない面を社会的に代表するような開き直りも相まって、上手く言えないですが、状況的に良くなろうとするよりも、現状に浸ろうということの方が優先にある。それは、とかく日常生活としては不健全な状態なんです。

しかし集中もしているので、見過ごしがちなことも見逃さないし、多少メンタルは落ちていようとも感覚は鈍っていなかったりと、非常にアンビバレントな状態。いまそんな時期かもしれない。

つまり、作るとか、創造性とかいうことに関しては、「ポジティブさ」は社会通念ほどには万能でないということなんです。

創造性には良くわからない一面があって、歩みが前に進んでいるのに、足のウラや足跡が主役になったりすることもある。だからキラキラした目で遠くを眺めるだけでは、気持ちとしてはそうありたくても、現実として何も生まれないことも多いんです。

自分の作品を見て「ポジティブな気分になる」と言ってくださる方もいるので、そういう時には少し複雑な気持ちになりますが、それはそれで誰かのマイナスが誰かのプラスへ変容するという凄い現象でもあります。

負けないぞというかすかな気持ち

アーティストや作家も人生を歩む一人の人間ですので、生きるということについてはやはりポジティブな姿勢でありたいし、そうでないとやっていけないと思います。

矛盾してるようですけど、健全な時間のなかに不健全な章をはさみ、明るい陽のなかに黒い影をドロッ落としながら生きている、そんな感じなんです。そのドロッが作品になることもある。

だから、多少不健全でネガティブな心持ちであっても、また戻ってこられる限りにおいてはそれを推奨したい気持ちもある、これを言いたかったのです。偏ったものの見方、バランスの欠如。そういうところから凄いものが生まれることもあるから。僕はそれを知っています。

浄化ばかりを勧めないのはこういった訳です。洗濯するだけでは何も生まれません。少々周辺が汚れるくらいのことは我慢できるではないですか。人のキャパは結構デカいですよ。

これから始めようとするプロジェクト、表面的にはめちゃめちゃ不健全なテーマなんです。でも最終的にはとても美しくあれと思っています。

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